2006’冬季トリノオリンピックにて

2月22日ミラノ市内のホテルにて

DSC00227.JPGミラノトリノ間はイタリア国鉄で移動しました。特急列車のチケットが取れず日本で言う普通列車で往復することになり片道2時間の旅となりましたがレンタカーの移動よりはよいです。ヨーロッパの鉄道は高軌道で日本の新幹線と同じ線路幅ですので座席もゆとりがあり時間的にはあまり気にならないです。

イタリア、ミラノについてから3日になりますが、2日間は天気が悪くイタリア特有の青空が見えないのはちょっと残念ですが雨が降らないよりはまだ良いと思っています。21日は観戦がありませんでしたのでオリンピック開催都市トリノを散策いたしました。トリノ都市は世界遺産に指定されている王宮もあり、都市が王宮を中心に形成され王宮を守るためにたぶんアパート(住宅)を作ったのではないかと思われますが、砦(アパート)の下はさまざまなお店が並び壮観です。アーチ型の柱すべてが巨大な大理石で支えられており、また、歩道も石畳でさすが古代都市です。
オリンピックメダリストの表彰式典は、王宮の中庭で行われます。何箇所の広場(名前はわからない)と町中に警官が多いのにはびっくりしましたが、実はトリノ駅一時預かり所に荷物を預けるかどうか迷っていたのですが、一時預かり所の中にも警察官がおり安心して預けることにしました。裏を返せば通常は治安(盗み)が悪いのではないかと思われます。
ドイツで入国手通きを済ませ空港内を散歩しましたがショップにサッカー、ワールドカップの関係でサッカーワールドカップデザインのものが結構ありました。トリノオリンピックデザインの品物はあまり気に入ったものがなくちょっと残念ですが、まあ、買い物に来たのではないですのでいいのですが、でもチョコレートの種類の多いのにはさすがトリノはチョコレート発祥の地だなと思いました。いよいよ待ちにまった女子回転の報告は明日24日に送ります。ホテル(部屋)回線アナログ回線ですので多くの写真は送ることができません。

2月24日ミラノ市内のホテルより(23日の女子スラローム、ミラノ市内観光)

53EF0083.JPG22日女子SLを観戦にミラノからセストリエールに向かいました。ミラノ中央駅からセストリエールまでは列車、シャトルバス乗り継ぎで約4時間ほどの道のりです。スキー場セストリエールは12時ころから一時的に青空が見えアルプスも見えました。
一本目スタートころから曇り空になりましたが、スタート地点までは見えました。私の観覧席はゴール正面でしたので見るには最高の場所でありましたが、ただ、撮影は少し距離があり200mmの望遠レンズでは選手の姿が小さいですがレンズが明るい(F2.8)ことで天気が悪くともまずまず撮れました。
各国応援団、自国の選手がスタートすると大きな声を張り上げ国旗を振りかざしすごい応援です。特にイタリア応援団の数が多くイタリアの選手がスタートするとパイプで組み立てた観覧席の床を踏み鳴らすので観覧席が崩れるのではないかとちょっと心配はしましたがこれもすぐに忘れ応援に回りました。やはりテレビで見るとは応援の雰囲気などは大違いがあります。
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二本目はガスがかかり肉眼では見えなくゴールに入ってから選手が見える状態でしたが大画面のモニターを見ながら各国応援団は声援を送りあまり肉眼で見えなくても応援はすごかったです。やはり、オリンピックの雰囲気はワールドカップとは違いました。イタリアからかも知れませんが。

今日24日は雨で休養することにしました。毎日列車のたびと歩きが多く夜はぐったりです。トリノにホテルがあればよかったのですが全ホテル満室でした。やはりミラノからのスケジュールはきついですね。明日はいよいよ男子SL、大きな声で声援します。何色でも良いからメダルがほしいですね。ミラノ都市の写真も見てください。


2月25日男子スラローム

53EF0098.JPG2月25日いよいよ待ちに待った男子スラロームの日が来ました。私たちはミラノ発7時18分トリノ行き列車に乗車一路セストリエールに向かいました。

セストリエールについたとき、まずびっくりしたことは人の多いこと、この人たちが男子SLを観戦するのかと思うとぞっといたしました。女子SLのときは指定席であってもどこに座ってもいいですよと係りの人に言われましたが今回は指定番号席でやはり空席はまったくありませんでした。
スタート30分前オーロラビジョンに観客の姿が映ると各国の応援団が国旗、選手名を書いた大きなポスターを掲げ、また笛、鐘などを鳴らし本番が始まる雰囲気になってきました。今オリンピックはイタリアでイタリア選手ゼッケン1番ROOCA GIORGIOは金メダル候補でしたので1番がスタートする直前はROOCA選手の旗、イタリア国旗を振りかざし異常な盛り上がり方でした。

さあ、ゼッケン1番スタートと同時にほぼ観客全員が立ち上がりパイプで組んだ観客席の床を踏み鳴らし、笛、鐘を鳴らしながら声援をおくり一番盛り上がったときROOCA選手が転倒。その瞬間大きなため息と失望感により一瞬”あ”と言うような叫び声の後に静まりかえりその後大きなどよめき(何を言っているのかわからない)があがりました。


さて日本選手一番手佐々木選手のスタートのときも大きな声援が湧き上がりました。ゼッケン11番日本2番手皆川賢太郎選手がスタート。膝の動きがやわらかく上体もぶれないリズムで滑ってきました。これはもしかするとラップをとるのではないかという滑りに見えました。やはり中間タイムはラップ、大きな歓声が湧き上がり私も笛と大きな声で賢太郎がんばれーと声を張り上げた気がしました。皆川ゴール、100分の7秒差、このタイムを見たときはメダルが取れるのではないかと大きな期待を持ちました。電光掲示板には3位からは動かず日本人として誇りに思いました。また、佐々木選手も7位となり電光掲示板には2人の名前、JPNがあり日本のアルペンスキーの強さを目の当たりにし、なおさら感激をいたしました。

イタリアの4選手のうち、1番手から3番手までつづけて失敗し、さすがのイタリアの応援団もため息をつき非常に落胆している姿を見てかわいそうな気もしましたが、これがオリンピックなんだと思いました。それでも4番手ハネスシュミット選手が25位でゴールしたときは大歓声でした。
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日本人3番手ゼッケン39番湯浅選手もすばらしい滑りをし一本目17位に入り30番以内に3人が入り、ますます日本選手50年ぶりのメダルに期待がかかりました。4番手生田選手はTVでご覧になったと思いますがスタートより果敢に攻め上体がおくれ失敗をしたあと、一生懸命に上り再スタートしゴールに入った時は大きな拍手が沸きあがりました。私も当然ゴール手前から拍手と声援をおくりました。Wカップとは違い国の代表選手として彼があきらめずに滑ってくれたことに大変感動いたしました。このことが各国の応援団からも拍手が起こったのではないかと思います。

2本目スタート18時30分までの待ち時間の長いこと、でも参加選手は97名いましたので最後まで見ていると一時間30分ほどの待ち時間でしたが、この空き時間に写真にも写っています羊の縫いぐるみのようなものをまといパフォーマンスをしたり、ステージではリズミカルなミュージックを流しオリンピックの雰囲気がありました。このときコーヒーを飲んだのですが味が濃いのか苦くてのめませんでしたが、チョコレート飲料は美味しかったです。二本目スタート18時30分一本目30番の選手よりスタート、いよいよ14番スタート日本選手一番手湯浅直樹選手すばらしいほぼ直線的に近いスキー操作をしゴール、この時点でダントツのトップ。2番手の選手に1秒12差のトップにでました。11番スタート、イビツア コステリッツ選手がゴールするまで電光掲示板トップにYUASA JPNの名前が残り感動しました。湯浅直樹選手結果二本目3位の合計7位すばらしい結果です。
刻々と皆川選手のスタート時間が、ちかずいてくると私も心臓の鼓動が早くなるのがわかり皆川選手スタート時にはイタリアの応援団、観客も応援してくれ大歓声の中スタートしました。少し一本目より膝の動きが硬く見え上体の動きがありましたが途中経過タイム+0.05これはいける、もうそれは言葉にならない異様な叫び声、どよめきが湧き上がり、ゴール時点3位、後2人カレパランデル(フィンランド)ベンヤミンライヒ(オーストリア)が皆川選手より遅ければメダルと思い、とにかく皆川選手の前にはくるなと思いつつカレパランデル選手がポールをはさみ失格残り一人ベンヤミンライヒスタート。中間タイムラップ。ああ、これでメダルが消えたかとライヒがゴールしたときはため息が出ましたがでも日本50年ぶりの入賞それも二人、日本のアルペンスキーの底力を世界にしめした日本選手のみなさんよい夢と感動をあたえてくれて本当にありがとうございました。